国指定重要文化財
木造十一面観世音菩薩立像(本尊)
本堂の本尊で一木造の秘仏。扉の内側に蓮を描いた美しい春日厨子に納まっています。
頭上の十一面の中には後に補修されたものもありますが、主体は造られた当初のものです。慈悲に満ちた上品な面立ち、均整のとれた姿、天衣と呼ばれる薄く長い布のひだの曲線も巧みで、線も強く、彫りが深いです。平安時代初期の優作です。
福山市指定重要文化財
明王院護摩堂
正面に一間の向拝を付け、背面に下家を設けています。寛永16年(1639)に、水野勝成が明王院住職宥将のために建立したもので、常福寺と合併時に移建されたものとみられます。
元禄7年(1694)の大修理で、かなり元禄風が加わりますが、正面中央の桟唐戸や花頭窓の精巧な細工、内部の格天井、天井中央の折り上げ小組天井等は、江戸初期の極めて精美な手法を留めています。規模は小さいですが気品ある建築です。
広島県指定重要文化財
明王院書院
小屋組は古式で手法も古く、1間毎に柱を建てた書院形式初期の技法を用いた、江戸時代初期の建築です。
建物の平面を田の字に四つの部屋があり、四周を広縁と廊下で取り囲んでいます。北側の8畳は貴賓の間で床、棚、付書院を備えています。明暦2年(1656) 徳川家光の位牌堂に転用されましたが、昭和38年(1963)解体修理時に元の姿に復されています。
玄関は式台に上り段を設け、屋根は向唐破風です。
広島県指定重要文化財
明王院庫裡
書院とともに福山初代藩主水野勝成により再建されたものと伝えられ、建物にその痕跡が認められます。
小屋組は、古式で規模も雄大であり、書院形式の初期の技法をとっています。特に玄関や板敷き広間の天井は小屋組を露出させ、また淡彩の山水・花鳥・動物を襖に描くなど江戸初期の風格を示しています。
昭和38年(1963)書院とともに解体修理されました。
広島県指定重要文化財
明王院山門
この門は棟札により慶長19年(1614)の再建ですが、その創建はさらにさかのぼると思われます。現在の山門の建築材は新旧二様に分かれています。新様は建物上部の斗供・軒などに、旧様は軸部の柱・腰長押・台輪などに見られ、一部に室町様式の木割を残しています。全体に雄大で豪壮な門です。
降棟に龍頭瓦を乗せており、鞆町安国寺釈迦堂の屋根のものよりやや小形で珍しいものです。
福山市指定重要文化財
明王院鐘楼
面取り角柱を方形の礎石上で内側に傾斜をつけて建てた、いわゆる四方転びの建て方で、特に各柱を内側に湾曲させているのが特徴です。
建立は棟札により、正保4年(1647)水野宗休(勝成の隠居後の号)の寄進によるものとわかり、鐘は明暦3年(1657)福山三代藩主水野勝貞の寄進によるものです。
江戸時代初期の雄健な手法を示す建造物です。
閻魔堂
十王堂草葺
慶長再興、享保11年(1726)再建
えんま大王以下十王が祭られています。
良いことをした人は天国へ、悪いことをした人は地獄へ、すべて十王によって判断される
地獄行きの人も、地蔵菩薩の化身である閻魔大王によくお願いし、次に観音様に頼めば大慈悲のお力で救われると言われています。
庭園
書院の北側と東南に築庭がある。共に江戸期の作である。北側の庭は自然の岩盤の崖下に、池をうがち石橋をかけた鶴亀の庭で、池辺に飛石をめぐらし崖上に方形造の美しい護摩堂が見える。又庫裡よりこれに通づる登り廊下も美しい。東側は極めて簡素な平庭で、中央に大きな円い石を据え、小さな石組がひくくつつましく点在し、竹林を背景にして、左には貞徳好の生垣をかりこみ、右には雅趣深い桂風の竹垣を結び、東南隅には老楓の下に平安朝の苔むした石層残欠塔を置き、秘趣を蔵した閑寂幽玄な庭です。護摩堂の前庭はひくい土塀を以て境し、外は竹林で椿・彼岸桜等が見える。白砂の庭は苔むして何もない。ただ一本小松宮お手植の松が栄えて、高貴な清らかさを感じさせます。
福山市指定重要文化財
木造不動明王立像
護摩堂の本尊。寄木造。
高さ74cmの岩座に立ち、玉眼を入れ、天と地をにらむ天地眼で、顔面の彫りは深く表情豊かです。頭髪は巻髪で辮髪を左肩に垂らし、右手に剣、左手に索を握り、腕・手首・足首に環(釧)をはめています。全体に肉感的で迫力が感じられます。光背は火焔で、後世の補修です。室町時代末期の作です。
福山市指定重要文化財
木造大日如来坐像
大日如来は、五重塔本尊です。目に玉眼をはめ半眼開きとし、端整な面立ちです。白毫は、右旋回状の水晶をはめています。耳は長大で、耳たぶに穴を貫きます。左肩から斜めに下げた条帛・腰に巻いた裳先の衣文は、写実的で巧みな彫技です。
寄木造で、衣文には古い形態の盛り上げ彩色をとどめた、南北朝時代の作品です。
福山市指定重要文化財
木造阿弥陀如来立像
寄木造。右手を胸の高さに上げ、左手を垂下し来迎印と呼ばれる手の形を結び、蓮華座上に立ちます。目は半眼開きとし、厚めの唇をゆるく結び、慈悲深く豊満な面立ちです。白毫には水晶がはめてあります。螺髪は切り込み式にあらわし、智恵の光を象徴する珠である肉髻珠をとどめています。
鎌倉時代の風格のある姿の表現などに優れ、県内でも有数の等身大像の遺例として貴重なものです。鎌倉時代末期の作です。
福山市指定重要文化財
護摩堂本尊背障壁裏絵
木製板。弥勒菩薩の浄士(兜率天)を描いた彩色密画で優美な構図、繊細な表現がされています。
この仏画の原画は、もと五重塔初層内部の来迎壁の裏面に描かれた兜率天曼荼羅図でした。江戸時代初期に、剥落を防ぐために狩野永清が模写し、しばらく塔内に掲げられていましたが、寛保年間に護摩堂内に移されたものです。
なお、原画は現在は東京国立博物館に保管されています。